すぐに家が散らかる

あたまだけは整理できるように

「自由」を捨てて自由になる〜①「善悪」ってどうやって決まるの?〜

 

 

『100分de名著 スピノザ「エチカ」』を読んだ

今、 NHKの「100分de名著」でスピノザの「エチカ」が特集されている

www.nhk.or.jp

 

監修は『暇と退屈の倫理学』『中動態の世界』でお馴染み、國分功一郎氏ということもあり、思わずテキストを購入

 

テキストでは「エチカ」を「善悪」「本質」「自由」「真理」の4章に分けて考察しており

段階を追いながら『エチカ』で唱えられている自由というワードを紐解いている

 

読む中で、スピノザの考える「自由」が一般に言われるものと如何に異なる意味を帯びているのかがわかったし

何より『中動態の世界』では良く分からなかった部分が明らかにできたので嬉しい

 

自分の理解を整理する意味で、本から得た情報とそれに対する考えをまとめていく

 

そもそも、スピノザの唱える「自由」の定義はなんだろうか

 

彼がいう「自由」の概念をきっちり理解するために

前提として押さえたい点が二つある

 

一つは神即自然というワード

 

もう一つは彼の考える善悪について

 

 

2章に分けて、それぞれ説明していく

「神即自然」=「神が全てで、僕らは完全無欠」

「神即自然」を文章にすると

「神は即ち自然である」となる(いや分からん)

 

一体どういうことなのか

 

この言葉を読み解くうえで重要なキーワードが「汎神論」である

(だから分からんって)

 

これは

世界のありとあらゆるものが神であり

神によって全てのものはもたらされた

という考えである

 

日本の「八百万」のような多神教とは異なり

唯一神=たった1人の神が想定されており

こうした世界に追いて、神は他のいかなるものからも影響を受けず

自分の中の法則だけで動いているという

 

人間だってオケラだってアメンボだって

全ては神によって創造される

神とは、それらを全て包む宇宙のような存在であり、無限

つまりは完全無欠である

 

したがって

神によって創造される人間もまた、それぞれ完全な存在ということになる

 

こんなこと言われても、キョトンとしてしまうだろう

 

「すぐ忘れ物するし」「怒りっぽいし」「人見知りだし」

(「あなたは完全だ」と言われた瞬間、自分の不完全な部分に目が行くのはなぜだろうか)

しかし、スピノザはこう反論する

自分が不完全だと思っていることは

「こうあるべき」という偏見と比較しているからだ!!!

 

(自己啓発っぽくなってきた)

 

彼にとって完全・不完全という区分は存在せず

完全しか存在しない(どんだけポジティブ)

 

厳密には大なる完全性」と「小なる完全性という

度合いのレベルで考えるべきだと言っている

この「大なる・小なる完全性」については次の章で説明する

善悪は「組み合わせ」次第

「神がぜんぶ創ったんだからぜんぶ完全なの!」

というスピノザの考えを見てきたが

 

それと同様に

何かに対してそれ自体が「善い・悪い」という考え方も彼は否定する

 

しかし、善悪がナイト言っているわけではなく

これもまた、独特な判断基準を持ち寄ってくる

 

それは

「組み合わせによって活動能力が高まっているかどうか」である

 

ある行動が善いかどうか判断する際

組み合わせ」が重要だと彼は指摘する

 

例えば、音楽が好きで静かな場所を好む人にとっては

「クラブ」よりも「ジャズバー」の方が”善い”組み合わせかもしれないし

 

服は好きだが潔癖症の人にとっては

「古着」はむしろ”悪い”組み合わせかもしれない

 

 

こうした組み合わせをへて

その人の活動能力が高まるかどうかで

「善い悪い」を考えるべきだとスピノザは主張する

 

彼はまた、「活動能力の増減」という表現に加え

小なる完全性から大なる完全性」とも言っており

 

活動能力を最大化させることで、人はよりハイクオリティな完全性を帯びることができると主張する

一章の感想

ここからは感想

 

 すごく良いなぁと思ったのは

 

善悪をこれ!って決めつけず

「それって結局は相性じゃない?」

っていう個人差を考慮していること

 

学校で習った「道徳」のような

仰々しくて、遠い彼方にある価値観を押し付けるんじゃなくて

 

色々と実際に試しながら、善い組み合わせを考えていこうって態度

 

塾講の指導に活かせるな

これが倫理学か〜おくぶかっ